【少年時代】
当時の先生事情
今では考えられない。
小学校3年の時の担任は豊田先生だった。
クラスの中で成績の良い生徒に、持ち回りで自分の代わりに教壇に立たせ授業をさせる。
御本人はいつも角で読書に励んでいた。
先生代わりの生徒が助けを求めた時、もしくは参観日の時のみ教壇に立ち、普段は読書三昧(勉強?)の毎日であった。
今の時代にそんな事をすると即FIREDだ。
小学校から中学卒業までの間に、部活動と学校生活の中で先生にどづかれたのも数知れず。
クラスの男子全員が連帯責任らしく、全員が鉄拳制裁を受ける。
父兄より
「どんどんしごいてください!」
など言われて、教師はやりたい放題であった。
しかし、人気のある先生もいて(ウッサンと呼んでいた)、休みの日には皆でウッサンの家に突然遊びに行ったり、家庭問題で相談したりの同級生もいた。
今では考えられない。
田舎の楽器事情
当時はど田舎という事もあり、テレビはわずか3局。
そして楽器店は2つのみ?!
最新のレコードがほしいとなると単線の電車で1時間半以上を掛けてレコードを買いに行かねばならず、極端に情報の少ない所に住んでいた。
ベンチャーズやショッキングブルーの”ヴィーナス”やら色々と聴いたものだが、エレキギターそのものを周りで弾く人間はおらず、ピアノがごく少数。
フォークギターを弾く人間もごく少数。
大阪に出て来て、やっと自分のギターを持つに至った。
ギターの耳コピ事情
時代はまだ早く、レコードコピー真っ盛り。
いい加減なタブ譜よりも耳コピばかり。
今思えば、”スモーク・オン・ザ・ウォーター”のリフをFコードをずらして弾く人のなんと多かった事か。
”ハイウェイスター”の速弾きを3連で弾いていたり、アルペジオをフォームを押さえたままで弾いたりとか。
私は”天国への階段”のライブヴァージョンをコピーした。
低音のクリシェが分からず、高音のみ弾いて悦に入っていたものである。
後年、NSPの”お休みの風景”のイントロが”天国”にクリソツだったのを発見し、たまたまかどうか今でも謎である。
この時代はまだチューニングメーターもなく、初期はピッチパイプでチューニング。
慣れて来た頃から音叉に変わる。
音叉は今でも愛用している。
大学を卒業して社会人になり、はじめてチューニングメーターを見かける。
懐かしくも、微笑ましい時代だった。
ラインなら聞きたいときにすぐ聞ける!
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