【日記】師とは?片山少年が大人になって今改めて思うこと。

なにを突然思ったか自分でも良く分からない。
このところコロナ関連などで、正直なところブログを書こうという気にならなかった。

いきなり内田先生である。
内田先生通称「ウッツァン」は高校3年生の時の担任である。
思い出したのだウッツァンを。

思えば、義務教育より先生と呼ばれる人と数多く接してきたが、
ふと「師」とは?となった時、ウッツァンだったと。

 

ウッツァンは目立たない、喋らない、地味な人物であった。
我々を担任した頃はもう定年間近だったのではないか。

担任ということで身構えたが、うるさくなく自由にさせてくれた。
正直、みんなウッツァンをなめていた。
国語を教えるいかにも文学者という風貌である。

 

新学期、なめていた僕たちに、徐々に徐々にウッツァンはにその存在感を示し始めた。

授業では厳格な授業であるが、時たま自分の意見を言う。
教科書どおりでなく自分の意見をはっきりと物言う。

皆「へー」である。
その「へー」が何度もその後続くようになる。

朝礼、終礼などのウッツァンの一言一言は、僕たちのことを思っての発言であった。
受験を控えた僕たちには本音で話すウッツァンがとても頼もしく見えた。

 

ある時、学年主任か風紀関係の教師の授業の時に、ふとした事でその教師を怒らしてしまった。
本当にちょっとしたことである。
(原因は覚えてないが、しょうもないことであったのは間違いない。)

授業は中止となり、私も含めクラスの数名は職員室に連れて行かれ説教である。
誰一人謝らなかった。
焦れたその教師は「もうええー。廊下に正座じゃー!」

我々は皆黙して廊下に正座する。

苦々しい表情で職員室に入る教師。
どうして良いか分からず、正座する我々。

「別にワシラー悪い事したわけじゃないんじゃし。」と級友のO。
ネイティブの津山弁である。
皆、口に出さなかったが同じ思いであった。

 

ほどなくしてウッツァンが登場する。
我々は怒られる事を覚悟していた。

ウッツァンはいつもどおり静かに「教室に帰れ」

??

物言わぬ僕たちに再度「ええけん、帰れ」
一人一人ウッツァンに挨拶しながら教室に帰る。

ウッツァンに悪いなーと思った。

教室に帰り、皆にあったことを問われる。
ウッツァンのことを話すと皆「やはり」の表情。

ウッツァンと関わりはじめて半年のうちには、女子も男子も皆「ウッツァン」と呼ぶようになった。

 

高校3年生の最後の正月、誰かが「ウッツァンの家に行こう」と言い出す。
(1月2日頃だったか?迷惑な話しである。)

津山駅に有志が集合し、自転車でウッツァンの家に押しかける。
ウッツァン夫人が我々を迎え入れてくれ、リビングに通される。
本で一杯の部屋、まごうことないウッツァンの家である。

ウッツァンはドテラに毛玉の浮いた靴下に無精ひげで現れる。
それ以外はいつものウッツァンである。

夫人が出してくれたお茶を頂き、お昼をご馳走になり、なんだか良く分からない時間を過ごす。

誰かが話す。
ウッツァンはいつもの如く、静かに話しを聞き。うなずく。そんな時間だった。

「お前らそろそろ家に帰って勉強せい」
それが宴の終了を告げる、ウッツァンの言であった。

素直に聞き入れ口々にお礼を言い、引き上げる我々。
思えばこれだけの多人数で正月に教師の家に押しかけたのは、後にも先にも最初で最後であった。

ウッツァン。

何が良かったのだろう?
何故ウッツァンは皆に好かれたのだろう。

ウッツァンを思えば「人としての暖かさ」、生き方みたいなものを自然に教わったように思う。

 

Facebook
Facebook
Twitter
Visit Us
Follow Me
YouTube
YouTube

設計士・片山浩之にラインで無料相談してみませんか?

友だち追加

ラインなら聞きたいときにすぐ聞ける!

防音のこと、音響のこと、楽器のこと、お困りのことや、ご不安なこと、なんでもお気軽にご相談くださいませ♪

もちろん、メールやお電話でもお気軽にどうぞ^^