【日記】神様は一流のシナリオライターかもしれない

【本日の日記です】

(このタイトルはいいな。「日記」だとタイトルをあまり考えなくても良い)

さて来月で誕生日。
またひとつ年を重ねる。

当たり前だが人間誰しも最後はある。
昔は自分の最後が怖くて永遠の命がほしいと思ったものだ。
今もそうだが、むしろ『死ぬまで一生懸命に生きよう』である。

最初の就職より紆余曲折を経て現在に至るが、それまでの就職遍歴は防音堂を作るための布石だったと思える。

様々な人との出会いと決別。
そして様々な経験。
そこで多くの勉強をした。
その勉強の成果が間違いなく防音堂に反映されている。

 

私は子供の頃より落ちこぼれであり、情けない自分だったと思う。
様々な経験で今の自分になりえた。

嫌な奴であり、だめな奴だったな。
本当にどうしようもない人間だった。

人にはそれぞれの道=宿命がある。
人に助けられ、人との出会いがその後の人生を左右する。

様々な出会いに感謝する。
それは偶然か、もしくは取捨選択の中でその後の人生を決めるのかもしれない。

そう考えれば、防音堂は奇跡のチームだ。

運命?
宿命?
良くわからない。

ほんの偶然の人との出会いが今の防音堂になってしまった。
どういうわけか自分の理想とするチームが生まれてしまった。

 

子供の頃、新社会人の頃、今の姿も音の世界に身を投じようとは夢にも思わなかったのである。

ただただ何となく満足出来ず、不満がたまりながら生きてきた。
明確に防音の仕事が自分のライフワークと思えるようになったのは本当につい最近である。

音はそう、10代の頃から好きだった。

こんな人生のシナリオを誰かが書いてくれたのだろうか?
神様がシナリオ?
だとすれば神様は超一流のシナリオライターだ。

 

ひとつだけ言える事。

こんな私がである。
努力していけば、希望があればなんとかなる。
良心だけは失ってはいけない。

短気である。
そして神経質である。
そして大変に意思が弱い。
お調子乗りである。
冷静で常にあれない。
プレッシャーに弱い。
快楽にはすぐに動じる。
良い格好したいほうである。
怠け者だ。

本当にどうしようもない人間なのだ、私は。
自己弁護で言えば、人にはやさしくしたいかな。

お客様からの苦情が怖いから、万が一の失敗が怖いから、忘れる事が怖いから、来た仕事はすぐにこなす。

忘れる事と見落とした事が怖い。
本当に怖い。
だから人には判別不明な日本語でメモに思いついたら書きなぐる。

 

もう生き方を変えようとは思わない。
この性格もライフスタイルも。
そして人との接し方も。

嫌いな人と会おうとも思わないし、良い仕事が出来るとは思えない仕事はやろうとは思わない。

傲慢かな?
たぶんそうだろう。

 

欲しくて手に入れた今の自分の立ち位置ではあるが、様々な奇跡でそうなったのだ。
ひょっとしたら運命の宝くじが当たったのかもしれない。

感謝する。
こんな私に仕事を依頼してくれるお客様。
そして支えてくれるスタッフに。
スタッフがいなければ防音堂はない。

自分はだめだと何回も思った。
人としてだめだと。

だから希望
希望という言葉は陳腐かもしれない。
あるいは憧れか?

なんとなく、なんとかなりたい。
望みかな?

うーん良く分からないが、一生懸命に生きていれば人生なんとかなるかもしれない。

運命と宿命があるとすれば、今までの様々な奇跡に感謝したい。

*本日は自分でも何を書いているか良く分かりませんでした。
現在の偽らざる私の心象風景でございます。
日記という書き方は、敬愛する辻仁成さんの書き方をパクリました。

 

 

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