【宗教】
宗教の悪口ではない。
無茶苦茶な生活をしている我が身を振り返ると、むしろ宗教で禁欲的な生活をしている人、良い人間活動をしている人は尊敬に値する。
かつて誰でも知っている大企業に属していた事がある。
今から思うに、そこは宗教を隠れ蓑にした悪い常識の塊に似ていた。
悪い常識の宗教。
例えばオウムである。
多くの人を不幸に追いやり、罪を犯した宗教は決して良くはない。
しかしながら、オウムの中では正当な常識であったのだろう。
宗教の教え、洗脳は怖い。
それは独占的な大企業の一部に通じているところを感じる。
私が属していた会社の製品は世界で最も優れているらしい。
知らず知らずのうちに、そのように洗脳されていた。
お客様の疑問にも、なんの根拠もないのに会社の名前で大丈夫と答える。
製品の事を深く知りもせずにである。
盲目的に自社の製品を良いと思うのは、愚の骨頂である。
それが悪い宗教的の教えに極めて似ている。
「いろんなピアノを弾いてみて、”シゲルカワイ”のやさしい音が好きになった。」
彼の素直な意見である。
色々なメーカーを、今は冷静に見れる立場の私である。
彼の話しを聞きながら、メーカーからの洗脳が溶けた今の我が身を幸せに思った。
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